2015年06月10日
商店街まめ知識vol.7 鷹匠一丁目商業発展会 ~新・旧がほどよく共存した、静かで落ち着いた街~
あなたの「まち歩き」が、もっとおもしろくなる「“おまち”の商店街豆知識」、
第7回目は「鷹匠一丁目商業発展会」です。

鷹匠は、静岡市の中心市街地から程よい距離にあり、駿府城公園からもすぐの場所。
駅前に隣接していながらも、静かで落ち着いた街並みで、
商店街ならではの個性と人情あふれる店舗店が並んでいます。

路地裏には、住宅の並びに個性溢れる隠れ家的な名店が点在する魅力的なエリアで、
静岡の代官山と呼ばれています。
鷹匠といえば、静岡市内の交通網の要所である静岡鉄道「新静岡駅」のある街。
1908年(明治41年)の開通から約50年間は「鷹匠町駅」という名前でした。
また、駅ビルである「新静岡センター」は1966年(昭和41年)に開業、
2011年(平成23年)には「新静岡セノバ」として新しく生まれ変わり、今も昔も多くの人が行き交っています。


交通アクセスもよく、近隣の文化施設である静岡市民文化会館、静岡県総合社会福祉会館、
アイセル21、もくせい会館を結ぶ要路として発展してきた街です。
また、静岡デザイン専門学校や、大成や常葉の中学・高等学校等の教育機関もあり、
最近では、常葉大学ができたことで、大学生と街の活性化に取り組んでいます。

鷹匠一丁目商業発展会では、向かいの駿府町1区発展会と組み、
北街道沿道で毎月第4土曜日に「鷹の市・駿府市」を開催しています。
地場産品からお惣菜、古着や手作り雑貨まで多彩なお店が並びます。
また、近隣の御幸町、伝馬町と連携し、「御伝鷹(みてた)マルシェ」や「御伝鷹バル」を開催することで、
街のファンを着実に増やしています。
元々武家屋敷地であったこの町は、駿府96ヶ町には数えられていませんが、
地名は徳川家康公に奉仕した鷹匠が大勢居住していたことに由来します。
「鷹匠」とは、鷹狩りのために鷹を飼いならす人で、鷹使い、鷹飼い、鷹師とも呼ばれています。
家康公の鷹狩りに絶えず同行していたため、家康公の身辺の秘密情報にも接しており、
このため鷹匠の住む屋敷には、忍者も出入りしていたと言われています。
また、鷹匠町に続く入口には、「くまたか橋」と呼ばれた橋がありました。
“くまたか”は、「角鷹」または「熊鷹」と書きますが、鷹狩りに使用する鷹のことを指すそうです。
家康公在城の頃には、ここで鷹匠が「くま鷹」を飼育していたことから「くまたか(なまって“くがたか”)橋」と呼ばれるようになりました。
橋自体は今川時代からあったそうです。江川町交差点北側の安藤ビル(追手町2-12)の前に、何が書いてあるのかわからないほどの古い墓石のようなものがあります。

「くまたか(変体仮名で“くがたか?”)橋」と書かれているようです。

かつては水の都として「御用水」や「駿府用水」の用水路が張り巡らされた駿府城下でしたが、
今では用水路はもちろん、橋があったことも想像できません。
交差点から新静岡セノバに向かってやや土地が隆起していますが、かつて水が流れていたことを彷彿とさせ、
この碑だけがその橋の記憶を留めています。

また、新静岡セノバの裏側には、徳川時代ゆかりの場所として、
「一加番稲荷神社(鷹匠1-8-5)」がひっそりと街に溶け込んでいます。

駿府城の警護として置かれた「加番」は、城の周りに一番から三番までの三つの加番がありました。
「加番」は広大な敷地に有事のときに備えた馬場や的場などの訓練施設もある屋敷で、駿府城を警護する武士の集団が住んでいたそうです。その邸内に守護神として建てられたのがこの神社。
当初一加番屋敷は紺屋町にあったそうですが、慶安の変(由井正雪の乱)をきっかけに、鷹匠に移転し、稲荷神社も移設されました。
現在では、屋敷はなくなり神社だけが残って地元の産土神となっているそうです。
春には素晴らしい桜を堪能できます。

鷹も商売繁盛と幸運を運んできてくれそうです。

御幸町発展会の紹介にも出てきた「華陽院(鷹匠2-24-18)」は、鷹匠にあります。

家康公との縁が深く、人質時代に竹千代の身の回りの世話をするため、
祖母の源応尼がこの寺の近くに庵室を設けていました。
また、この寺の住職からも手習いの指導を受けていたようです。

かつては「知源院」という名前でしたが、祖母源応尼の菩提寺として「華陽院」となり、
境内には家康公側室の娘市姫のお墓や家康公御手植えのみかんや松、柿もあります。

源応尼のお墓

市姫のお墓
境内には保育園があり、こども達の元気笑い声が聞こえてきます。
訪れる度に発見のある街、鷹匠。
ゆったりとした時間の流れる中、隠れた名店や昔の名残を探しに、鷹匠を散策してみるのはいかがでしょうか。
●鷹匠一丁目商業発展会 ホームページ http://taka-1.com/
鷹匠1丁目商業発展会のお店マップ
鷹匠周辺マップ
第7回目は「鷹匠一丁目商業発展会」です。

鷹匠は、静岡市の中心市街地から程よい距離にあり、駿府城公園からもすぐの場所。
駅前に隣接していながらも、静かで落ち着いた街並みで、
商店街ならではの個性と人情あふれる店舗店が並んでいます。

路地裏には、住宅の並びに個性溢れる隠れ家的な名店が点在する魅力的なエリアで、
静岡の代官山と呼ばれています。
鷹匠といえば、静岡市内の交通網の要所である静岡鉄道「新静岡駅」のある街。
1908年(明治41年)の開通から約50年間は「鷹匠町駅」という名前でした。
また、駅ビルである「新静岡センター」は1966年(昭和41年)に開業、
2011年(平成23年)には「新静岡セノバ」として新しく生まれ変わり、今も昔も多くの人が行き交っています。


交通アクセスもよく、近隣の文化施設である静岡市民文化会館、静岡県総合社会福祉会館、
アイセル21、もくせい会館を結ぶ要路として発展してきた街です。
また、静岡デザイン専門学校や、大成や常葉の中学・高等学校等の教育機関もあり、
最近では、常葉大学ができたことで、大学生と街の活性化に取り組んでいます。

鷹匠一丁目商業発展会では、向かいの駿府町1区発展会と組み、
北街道沿道で毎月第4土曜日に「鷹の市・駿府市」を開催しています。
地場産品からお惣菜、古着や手作り雑貨まで多彩なお店が並びます。
また、近隣の御幸町、伝馬町と連携し、「御伝鷹(みてた)マルシェ」や「御伝鷹バル」を開催することで、
街のファンを着実に増やしています。
元々武家屋敷地であったこの町は、駿府96ヶ町には数えられていませんが、
地名は徳川家康公に奉仕した鷹匠が大勢居住していたことに由来します。
「鷹匠」とは、鷹狩りのために鷹を飼いならす人で、鷹使い、鷹飼い、鷹師とも呼ばれています。
家康公の鷹狩りに絶えず同行していたため、家康公の身辺の秘密情報にも接しており、
このため鷹匠の住む屋敷には、忍者も出入りしていたと言われています。
また、鷹匠町に続く入口には、「くまたか橋」と呼ばれた橋がありました。
“くまたか”は、「角鷹」または「熊鷹」と書きますが、鷹狩りに使用する鷹のことを指すそうです。
家康公在城の頃には、ここで鷹匠が「くま鷹」を飼育していたことから「くまたか(なまって“くがたか”)橋」と呼ばれるようになりました。
橋自体は今川時代からあったそうです。江川町交差点北側の安藤ビル(追手町2-12)の前に、何が書いてあるのかわからないほどの古い墓石のようなものがあります。

「くまたか(変体仮名で“くがたか?”)橋」と書かれているようです。

かつては水の都として「御用水」や「駿府用水」の用水路が張り巡らされた駿府城下でしたが、
今では用水路はもちろん、橋があったことも想像できません。
交差点から新静岡セノバに向かってやや土地が隆起していますが、かつて水が流れていたことを彷彿とさせ、
この碑だけがその橋の記憶を留めています。

また、新静岡セノバの裏側には、徳川時代ゆかりの場所として、
「一加番稲荷神社(鷹匠1-8-5)」がひっそりと街に溶け込んでいます。

駿府城の警護として置かれた「加番」は、城の周りに一番から三番までの三つの加番がありました。
「加番」は広大な敷地に有事のときに備えた馬場や的場などの訓練施設もある屋敷で、駿府城を警護する武士の集団が住んでいたそうです。その邸内に守護神として建てられたのがこの神社。
当初一加番屋敷は紺屋町にあったそうですが、慶安の変(由井正雪の乱)をきっかけに、鷹匠に移転し、稲荷神社も移設されました。
現在では、屋敷はなくなり神社だけが残って地元の産土神となっているそうです。
春には素晴らしい桜を堪能できます。

鷹も商売繁盛と幸運を運んできてくれそうです。


御幸町発展会の紹介にも出てきた「華陽院(鷹匠2-24-18)」は、鷹匠にあります。

家康公との縁が深く、人質時代に竹千代の身の回りの世話をするため、
祖母の源応尼がこの寺の近くに庵室を設けていました。
また、この寺の住職からも手習いの指導を受けていたようです。

かつては「知源院」という名前でしたが、祖母源応尼の菩提寺として「華陽院」となり、
境内には家康公側室の娘市姫のお墓や家康公御手植えのみかんや松、柿もあります。

源応尼のお墓

市姫のお墓
境内には保育園があり、こども達の元気笑い声が聞こえてきます。
訪れる度に発見のある街、鷹匠。
ゆったりとした時間の流れる中、隠れた名店や昔の名残を探しに、鷹匠を散策してみるのはいかがでしょうか。
●鷹匠一丁目商業発展会 ホームページ http://taka-1.com/
鷹匠1丁目商業発展会のお店マップ
鷹匠周辺マップ
2015年05月27日
商店街まめ知識vol.6 伝馬町発展会 ~今も昔も元気のある街~
あなたの「まち歩き」が、もっとおもしろくなる「“おまち”の商店街豆知識」、
第6回目は「伝馬町通り商店街(伝馬町発展会)」です。

東海道五十三の宿場町で最も栄えた府中宿。
そのなかでも伝馬町は、参勤交代で大名たちが宿泊する本陣や脇本陣が置かれ、
人馬引き継ぎの場として、問屋場、旅籠43軒が建ち並ぶ東海道きっての繁華街でした。
伝馬町通りには、歴史を伝える石碑が数多くあります。
幕末・明治に江戸城を無血開城に導いた「山岡鉄舟と西郷隆盛会見」の記念碑

「本陣・脇本陣」の碑

「東海道府中宿」の碑

「久能山東照宮道」の碑

町内及び周辺には、駿河三刹の一つ「宝泰寺(伝馬町12-2)」

伝馬町の氏神様「珠賀美(たまがみ)神社(伝馬町13-1)」

家康公に縁の深い寺「華陽院(鷹匠2-24-18)」もあります。

伝馬町通りには、「花[華]陽院門前町(けよういんもんぜんまち)」の碑も。

現在の伝馬町通りは、SHIZUOKA109やペガサート、ビジネスホテルが立ち並ぶ中、
昔ながらの豆腐店やもぐさ屋、駄菓子屋、飲食店、衣料品店が軒を連ね、新しさと懐かしさが混在した街です。

通りの様子

SHIZUOKA109

ペガサート
また、平成元年から「歴史と花のまち」をテーマに、街づくり計画がスタートしています。
伝馬町通りの街路灯には町名に ちなんでペガサス(天馬)のオーナメントが施されています。

キャラクターの「てんすけくん」にも注目です。

静岡デザイン専門学校や伝馬町小学校、常葉大学などの近隣の教育機関と連携した街づくり
(バナー・コンテストや夏まつりでの浴衣ファッションショー、防災マップの作成等)にも
積極的に取り組んでおり、地域と一体となった活動が注目されています。

その他、隣接する御幸町発展会、鷹匠1丁目商業発展会の3町合同で
「御伝鷹(みてた)まちづくり委員会」を組織して、「みてたバル」「みてたマルシェ」「ハロウィン」等の
エリア一体となったイベントを開催し、好評を集めています。

今も昔も元気のある街、伝馬町。
通りを歩き、歴史をたどりながら、街を散策してみてはいかがでしょうか。
伝馬町発展会のホームページでは、こちらで紹介した以外の史跡を含めた散策ルートを紹介しています。
http://tenma-town.com/
第6回目は「伝馬町通り商店街(伝馬町発展会)」です。

東海道五十三の宿場町で最も栄えた府中宿。
そのなかでも伝馬町は、参勤交代で大名たちが宿泊する本陣や脇本陣が置かれ、
人馬引き継ぎの場として、問屋場、旅籠43軒が建ち並ぶ東海道きっての繁華街でした。
伝馬町通りには、歴史を伝える石碑が数多くあります。
幕末・明治に江戸城を無血開城に導いた「山岡鉄舟と西郷隆盛会見」の記念碑
「本陣・脇本陣」の碑
「東海道府中宿」の碑
「久能山東照宮道」の碑
町内及び周辺には、駿河三刹の一つ「宝泰寺(伝馬町12-2)」


伝馬町の氏神様「珠賀美(たまがみ)神社(伝馬町13-1)」


家康公に縁の深い寺「華陽院(鷹匠2-24-18)」もあります。

伝馬町通りには、「花[華]陽院門前町(けよういんもんぜんまち)」の碑も。
現在の伝馬町通りは、SHIZUOKA109やペガサート、ビジネスホテルが立ち並ぶ中、
昔ながらの豆腐店やもぐさ屋、駄菓子屋、飲食店、衣料品店が軒を連ね、新しさと懐かしさが混在した街です。
通りの様子
SHIZUOKA109

ペガサート
また、平成元年から「歴史と花のまち」をテーマに、街づくり計画がスタートしています。
伝馬町通りの街路灯には町名に ちなんでペガサス(天馬)のオーナメントが施されています。
キャラクターの「てんすけくん」にも注目です。

静岡デザイン専門学校や伝馬町小学校、常葉大学などの近隣の教育機関と連携した街づくり
(バナー・コンテストや夏まつりでの浴衣ファッションショー、防災マップの作成等)にも
積極的に取り組んでおり、地域と一体となった活動が注目されています。
その他、隣接する御幸町発展会、鷹匠1丁目商業発展会の3町合同で
「御伝鷹(みてた)まちづくり委員会」を組織して、「みてたバル」「みてたマルシェ」「ハロウィン」等の
エリア一体となったイベントを開催し、好評を集めています。
今も昔も元気のある街、伝馬町。
通りを歩き、歴史をたどりながら、街を散策してみてはいかがでしょうか。
伝馬町発展会のホームページでは、こちらで紹介した以外の史跡を含めた散策ルートを紹介しています。
http://tenma-town.com/
2015年04月14日
商店街まめ知識vol.5 御幸町発展会 ~“御幸”の名にふさわしい大通りの商店街~
あなたの「まち歩き」が、もっとおもしろくなる「“おまち”の商店街豆知識」、
第5回目は「御幸町発展会」です。
JR静岡駅の北口から静岡県庁と静岡市役所の間にまっすぐ延びる大通り。
バスやタクシー、乗用車が数多く行き交うメインストリートが“御幸通り”です。

以前ご紹介した紺屋町名店街、呉六名店街、呉服町名店街をつなぐ、「呉服町通り」の
東側(駅から見て右側)にあたる大通りです。

(静岡駅ビル・パルシェ エレベーターより)
“御幸(みゆき)通り”の名前は、1930(昭和5)年、静岡市一の大通りとして開通した際、
昭和天皇が最初に通られたことから「御幸通り」と名付けられました。
1945(昭和20)年には、区画整理により、通りに面していた紺屋町、新谷町(しんがいちょう)、
江川町、下八幡町(しもやわたまち)などをまとめて“御幸町”と称されるようになりました。

新谷町(しんがいちょう) 駿府96ヶ町石碑(ペガサートTully's coffee前)

江川町 駿府96ヶ町石碑(江川町交差点 Den bill側)
・・・現在交差点地下道工事中のため、わかりにくいです。(御幸町通りの石碑左横)
※紺屋町、下八幡町の石碑はないようです。
御幸通りには、石碑があり、今も歴史を伝えています。

当時御幸町に住んでいたデザイナーの池ヶ谷哲次さんによる「町の紋章」もあります。
ひらがなの“み”を図案化したもので、1976年(昭和51年)にこの紋章で町旗を作ってお披露目されて以来、
約40年間使用されています。
現在も、御幸町の足元にはマークのブロックがはめ込まれ、アーケードには時折旗がはためいています。

御幸通りは、松坂屋、丸井、Denbillをはじめとする大型店や、飲食、ファッションの個店だけでなく、
企業や官公庁、病院が集まっています。

松坂屋静岡店(写真右側)

丸井静岡店(B館)

Den Bill
町内には図書館やB-nest(静岡市産学交流センター・静岡市中小企業支援センター)もあり、
人や情報が密集するビジネスの中心地ともいうべき商店街です。

静岡市立御幸町図書館やB-nestが入るビル「ペガサート」
最終的に伝馬町通りと江川町通りとつながる地点にあるREVIVEビルには、
徳川家康公の遺訓や駿府城の由縁が描かれています。




※上記3点、クリックして拡大できます。

通りにはところどころベンチが置かれ、足元にはモザイク画や
県・市の花・木・鳥のタイルが埋め込まれています。




●御幸町発展会 ホームページ http://miyukicho-shizuoka.com/
※写真のピンク色の提灯は、4月の第1金土日に開催される「静岡まつり」に合わせた装飾です。
※情報は、2015年4月14日現在の情報です。
第5回目は「御幸町発展会」です。
JR静岡駅の北口から静岡県庁と静岡市役所の間にまっすぐ延びる大通り。
バスやタクシー、乗用車が数多く行き交うメインストリートが“御幸通り”です。

以前ご紹介した紺屋町名店街、呉六名店街、呉服町名店街をつなぐ、「呉服町通り」の
東側(駅から見て右側)にあたる大通りです。

(静岡駅ビル・パルシェ エレベーターより)
“御幸(みゆき)通り”の名前は、1930(昭和5)年、静岡市一の大通りとして開通した際、
昭和天皇が最初に通られたことから「御幸通り」と名付けられました。
1945(昭和20)年には、区画整理により、通りに面していた紺屋町、新谷町(しんがいちょう)、
江川町、下八幡町(しもやわたまち)などをまとめて“御幸町”と称されるようになりました。

新谷町(しんがいちょう) 駿府96ヶ町石碑(ペガサートTully's coffee前)

江川町 駿府96ヶ町石碑(江川町交差点 Den bill側)
・・・現在交差点地下道工事中のため、わかりにくいです。(御幸町通りの石碑左横)
※紺屋町、下八幡町の石碑はないようです。
御幸通りには、石碑があり、今も歴史を伝えています。

当時御幸町に住んでいたデザイナーの池ヶ谷哲次さんによる「町の紋章」もあります。
ひらがなの“み”を図案化したもので、1976年(昭和51年)にこの紋章で町旗を作ってお披露目されて以来、
約40年間使用されています。
現在も、御幸町の足元にはマークのブロックがはめ込まれ、アーケードには時折旗がはためいています。

御幸通りは、松坂屋、丸井、Denbillをはじめとする大型店や、飲食、ファッションの個店だけでなく、
企業や官公庁、病院が集まっています。

松坂屋静岡店(写真右側)

丸井静岡店(B館)

Den Bill
町内には図書館やB-nest(静岡市産学交流センター・静岡市中小企業支援センター)もあり、
人や情報が密集するビジネスの中心地ともいうべき商店街です。

静岡市立御幸町図書館やB-nestが入るビル「ペガサート」
最終的に伝馬町通りと江川町通りとつながる地点にあるREVIVEビルには、
徳川家康公の遺訓や駿府城の由縁が描かれています。




※上記3点、クリックして拡大できます。

通りにはところどころベンチが置かれ、足元にはモザイク画や
県・市の花・木・鳥のタイルが埋め込まれています。




●御幸町発展会 ホームページ http://miyukicho-shizuoka.com/
※写真のピンク色の提灯は、4月の第1金土日に開催される「静岡まつり」に合わせた装飾です。
※情報は、2015年4月14日現在の情報です。
2015年04月13日
商店街まめ知識vol.4 呉六名店街 ~「静岡に生まれて良かった」と思える街に~
あなたの「まち歩き」が、もっとおもしろくなる「“おまち”の商店街豆知識」、
第4回目は「呉六名店街」です。
「呉六名店街」は、スクランブル交差点目の前の繁華街。
呉服町通りの「呉服町名店街」と「紺屋町名店街」の間にある商店街です。

お茶や蒲鉾の老舗をはじめ、衣料品や宝石・貴金属、雑貨、飲食、カフェ、ドラッグストアが軒を連ね、
明るい雰囲気と活気に満ちた街です。
呉服町通りのスクランブル交差点付近のベンチは、オーストリア・ウィーンのシェンブルーン宮殿にあるものと同じ。
背当たりがしっくり馴染んで、安定して座れます。

街路灯は、ハンガリー・ブダペストのビセグラッドという城にあった数百年前のものの復刻版。
景観メーカーであるカンデラベール社が、当時の図面や原型を基に忠実に復元ました。

世界中でここだけにしかない貴重なものです。
街路樹は、植物生態学の権威で元横浜国立大学の宮脇昭名誉教授指導のもとに植樹。
常にお花を切らさないように、商店街の皆さんがプランターをチェック。

建物の2階、3階のバルコニーは、ハンガリー製のハンドメイド。消防足場や避難路としての役目もあります。

「青空が見える街」というコンセプトのもと、アーケードの先端からは電動式のオーニングテントが伸びて
強い日差しや雨をよけます。

色はビルの外装と調和したものが吟味されました。
一年中緑あふれる美しい街並みでお客様をお迎えしています。

2014年(平成26年)12月から、土日祝日の歩行者天国で、
ドイツのストリートオルガンのメーカーRaffin(ラッフィン)社に特別に注文した
手回しオルガンのコンサートを開催しています。

クラシックだけでなく、「富士の山」や「ふるさと」、「みかんの花の咲く丘」等の
日本の音楽もレパートリーにあるそうですよ。
※休日でなくても、呉六名店街の山本会長のお店「ちぐさ」さんに声をかければ、
オルゴールの音色を聴けるかもしれませんよ。

晴れた日に、近くのカフェで買ったドリンク片手に、素敵なベンチで音楽を楽しむ…
そんな休日が楽しめる商店街です。
また、今年2015年(平成27年)は、徳川家康公顕彰四百年。
慶喜公が江戸を離れ静岡に来た時、同行した奥女中が慰めに作ったと言われているのが、
千代紙で折った「静岡姉様人形」です。
この機会に「静岡姉様人形」を広く知っていただければと、山本会長により
「静岡姉様行灯(あんどん)」に仕立てられました。

2mの大きなサイズもあります。
その他にも、お茶の蘭字ラベルをアレンジした駿河竹千筋細工のオリジナル行灯があり、
夜店市や新茶時期などに、通りを彩ります。

自然と共生し、“ここにしかない”お店や歴史を刻む装飾がある街。
新しいものと古いものが共存し、ひとつの風景になる…
静岡や“おまち”を誇りに思える、そんな素敵な商店街です。

●呉六名店街ホームページ http://www.gofukucho.com/
第4回目は「呉六名店街」です。
「呉六名店街」は、スクランブル交差点目の前の繁華街。
呉服町通りの「呉服町名店街」と「紺屋町名店街」の間にある商店街です。
お茶や蒲鉾の老舗をはじめ、衣料品や宝石・貴金属、雑貨、飲食、カフェ、ドラッグストアが軒を連ね、
明るい雰囲気と活気に満ちた街です。
呉服町通りのスクランブル交差点付近のベンチは、オーストリア・ウィーンのシェンブルーン宮殿にあるものと同じ。
背当たりがしっくり馴染んで、安定して座れます。
街路灯は、ハンガリー・ブダペストのビセグラッドという城にあった数百年前のものの復刻版。
景観メーカーであるカンデラベール社が、当時の図面や原型を基に忠実に復元ました。
世界中でここだけにしかない貴重なものです。
街路樹は、植物生態学の権威で元横浜国立大学の宮脇昭名誉教授指導のもとに植樹。
常にお花を切らさないように、商店街の皆さんがプランターをチェック。
建物の2階、3階のバルコニーは、ハンガリー製のハンドメイド。消防足場や避難路としての役目もあります。
「青空が見える街」というコンセプトのもと、アーケードの先端からは電動式のオーニングテントが伸びて
強い日差しや雨をよけます。
色はビルの外装と調和したものが吟味されました。
一年中緑あふれる美しい街並みでお客様をお迎えしています。
2014年(平成26年)12月から、土日祝日の歩行者天国で、
ドイツのストリートオルガンのメーカーRaffin(ラッフィン)社に特別に注文した
手回しオルガンのコンサートを開催しています。

クラシックだけでなく、「富士の山」や「ふるさと」、「みかんの花の咲く丘」等の
日本の音楽もレパートリーにあるそうですよ。
※休日でなくても、呉六名店街の山本会長のお店「ちぐさ」さんに声をかければ、
オルゴールの音色を聴けるかもしれませんよ。

晴れた日に、近くのカフェで買ったドリンク片手に、素敵なベンチで音楽を楽しむ…
そんな休日が楽しめる商店街です。
また、今年2015年(平成27年)は、徳川家康公顕彰四百年。
慶喜公が江戸を離れ静岡に来た時、同行した奥女中が慰めに作ったと言われているのが、
千代紙で折った「静岡姉様人形」です。
この機会に「静岡姉様人形」を広く知っていただければと、山本会長により
「静岡姉様行灯(あんどん)」に仕立てられました。

2mの大きなサイズもあります。
その他にも、お茶の蘭字ラベルをアレンジした駿河竹千筋細工のオリジナル行灯があり、
夜店市や新茶時期などに、通りを彩ります。

自然と共生し、“ここにしかない”お店や歴史を刻む装飾がある街。
新しいものと古いものが共存し、ひとつの風景になる…
静岡や“おまち”を誇りに思える、そんな素敵な商店街です。
●呉六名店街ホームページ http://www.gofukucho.com/
2015年03月20日
商店街まめ知識vol.3 静岡紺屋町名店街 ~慶喜さんの愛した街~
あなたの「まち歩き」が、もっとおもしろくなる「“おまち”の商店街豆知識」、
第3回目は「静岡紺屋町名店街」です。
「静岡紺屋町名店街」は、JR静岡駅北口の繁華街、呉服町通りと両替町通りの入口にある商店街です。


(静岡駅ビル・パルシェ エレベーターより)
紺屋町(こうやまち)の名は、江戸時代はじめに染物師の町として整備されたことに由来します。
紺屋町は、「こんやまち」とも呼ばれ、商人の町として栄えました。
現在、街を彩る街路灯は、町名にちなみ、紺色に塗られています。

また、徳川家最後の将軍、慶喜公の御屋敷があり、20年余りを過ごした地でもあります。
それが今の浮月楼にあたります。
浮月楼近くの「駿府96ヶ町」の町名碑が、
駿府の城下町であった歴史や慶喜公との由縁について伝えています。


紺屋町名店街の紺屋町Be-One は、県内唯一の地下商店街。地下のお休み処もあります。


商店街の中にも、ところどころベンチが設置されています。

また街の憩いの場として「小梳神社」が鎮座しています。

かつては「少将井社」と呼ばれ、今川家の崇敬を集め、家康公が人質として来た際、
最初にこの社に立寄り、御武運長久の御祈願をしたと伝えられています。
江戸時代には、名物の山車が駿府町中を回り、盛大な神事が一年おきに行われたと言われています。
小梳神社は今も紺屋町のシンボルとして栄えています。

境内には、「少将井」と呼ばれていた由縁もあり、霊水を汲む場所があります


喫煙スペースもあります。


緑の中で水の音を聞きながら、ほっと一息つけるオススメのスポットです。

紺屋町は、ラーメン店が13 店舗もある、ラーメン激戦区でもあります。
(掲載日時点の情報。詳しくはYahoo!ロコをご覧ください。)
また、紺屋町の入口にあるひときわ目立つ建物は、2010年にオープンした葵タワー。
地下2階+地上25階建の高さ125mで、静岡市内で最も高いビルです。

ビルの中には、駅から一番近い美術館「静岡市美術館」があります。
ジャンルにとらわれない多彩な企画展で人気です。
文化芸術や歴史に触れられる街、紺屋町。
古くからの名店も数多くありますので、詳しくはホームページをご覧ください。
●紺屋町名店街 ホームページ http://www.coyamachi.jp/
大きな地図で見る
第3回目は「静岡紺屋町名店街」です。
「静岡紺屋町名店街」は、JR静岡駅北口の繁華街、呉服町通りと両替町通りの入口にある商店街です。

(静岡駅ビル・パルシェ エレベーターより)
紺屋町(こうやまち)の名は、江戸時代はじめに染物師の町として整備されたことに由来します。
紺屋町は、「こんやまち」とも呼ばれ、商人の町として栄えました。
現在、街を彩る街路灯は、町名にちなみ、紺色に塗られています。

また、徳川家最後の将軍、慶喜公の御屋敷があり、20年余りを過ごした地でもあります。
それが今の浮月楼にあたります。
浮月楼近くの「駿府96ヶ町」の町名碑が、
駿府の城下町であった歴史や慶喜公との由縁について伝えています。


紺屋町名店街の紺屋町Be-One は、県内唯一の地下商店街。地下のお休み処もあります。


商店街の中にも、ところどころベンチが設置されています。

また街の憩いの場として「小梳神社」が鎮座しています。

かつては「少将井社」と呼ばれ、今川家の崇敬を集め、家康公が人質として来た際、
最初にこの社に立寄り、御武運長久の御祈願をしたと伝えられています。
江戸時代には、名物の山車が駿府町中を回り、盛大な神事が一年おきに行われたと言われています。
小梳神社は今も紺屋町のシンボルとして栄えています。

境内には、「少将井」と呼ばれていた由縁もあり、霊水を汲む場所があります


喫煙スペースもあります。


緑の中で水の音を聞きながら、ほっと一息つけるオススメのスポットです。

紺屋町は、ラーメン店が13 店舗もある、ラーメン激戦区でもあります。
(掲載日時点の情報。詳しくはYahoo!ロコをご覧ください。)
また、紺屋町の入口にあるひときわ目立つ建物は、2010年にオープンした葵タワー。
地下2階+地上25階建の高さ125mで、静岡市内で最も高いビルです。

ビルの中には、駅から一番近い美術館「静岡市美術館」があります。
ジャンルにとらわれない多彩な企画展で人気です。
文化芸術や歴史に触れられる街、紺屋町。
古くからの名店も数多くありますので、詳しくはホームページをご覧ください。
●紺屋町名店街 ホームページ http://www.coyamachi.jp/
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2015年03月19日
商店街まめ知識vol.2 七間町名店街 ~街が醸し出す歴史と文化の香り~
あなたの「まち歩き」が、もっとおもしろくなる「“おまち”の商店街豆知識」第2回目は、
「七間町名店街」です。
静岡市中心部の繁華街である「静岡市中央商店街連合会(*1)」は、4つの名店街で構成されています。
その中で最も歴史がある商店街が「七間町名店街」です。
札の辻交差点(静岡伊勢丹前)から昭和通りまでの東西約350メートルの商店街で、「七間町通り」と呼ばれています。
七間町は、奈良時代には「安倍の市」、鎌倉時代には「連雀町(連尺町)」、今川期には「今宿」と呼ばれ、
駿河国の商業の中心地として栄えてきました。
徳川家康公による「駿府96ヶ町」の町割の際に、「七間町」が誕生。
町名の由来は、道路幅が七間であったという説もありますが、
7つの座(*2)があったことから「七軒町」と名付けられたという説が有力です。
明治以降は歌舞伎や人形浄瑠璃、映画が楽しめる街として、
昭和に入ると映画館やファッション、飲食店が軒を連ね、
通りを歩くことは「銀ぶら」ならぬ「七ぶら」と言われてたいへん賑わいました。
現在、映画館は1館となりましたが、朝市やさまざまなイベントが開催され、
歴史と文化が香る、個性と活気にあふれる商店街です。
商店街として街の緑化に早くから取り組み、1973(昭和48)年に街路樹のケヤキを植樹。
1992(平成4)年に静岡県都市景観最優秀賞を受賞しています。
大きく成長した現在では、夏には木陰を、冬には陽光が降り注ぐ自然のシェードとして、
七間町のシンボルになっています。

街灯は、目にやさしいシンボリックな「すずらん灯」。

これは3代目ですが、初代の「すずらん灯」は、昭和3年に設置。静岡市初の事業でした。
昭和15年の静岡大火、昭和20年の静岡大空襲を経て、3代、85年に渡り、七間町を照らし続けています。
七間町名店街の歩道は、劣化が少ない「大理石」。中国浙江省の大理石を使用しています。


街の歴史と共に、汚れやクラックが刻まれ、七間町の通りに彩りを添えています。
車道は、いちょう張り、うろこ張りのブロックでヨーロッパ風の街並に。


車道がデコボコしているのは、車が高速で走れないようにするという配慮も。
そのため、七間町通りは事故が少ないと言われています。
自転車の多い静岡の街を考慮し、静岡市の商店街として初めて駐輪場を設置。

車道側から自転車を入れる駐輪場は、全国でもめずらしく、歩行者にやさしい街です。

アーケードから流れる音楽は、七間町名店街が独自に編集したBGM。
朝9:30~夜8:30までの11時間、時間帯によってシーンをイメージした音楽が選ばれています。
通りの各所にベンチやオブジェが置かれ、木漏れ日の中、花や音楽あふれる空間でひとやすみ…





まるで異国にいるようなおしゃれな商店街です。
●七間町名店街の歴史が写真と共に詳しく紹介されています。
七間町名店街ホームページ http://www.7town.jp/
*1 「静岡紺屋町名店街」「呉六名店街」「静岡呉服町名店街」「七間町名店街」の4つで構成されている。
*2 当時の専売品である絹座・炭座・米座・檜物座(ひものざ)・千朶積座(せんだづみざ)・相物座(あいものざ)・馬商座。
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「七間町名店街」です。
静岡市中心部の繁華街である「静岡市中央商店街連合会(*1)」は、4つの名店街で構成されています。
その中で最も歴史がある商店街が「七間町名店街」です。
札の辻交差点(静岡伊勢丹前)から昭和通りまでの東西約350メートルの商店街で、「七間町通り」と呼ばれています。
七間町は、奈良時代には「安倍の市」、鎌倉時代には「連雀町(連尺町)」、今川期には「今宿」と呼ばれ、
駿河国の商業の中心地として栄えてきました。
徳川家康公による「駿府96ヶ町」の町割の際に、「七間町」が誕生。
町名の由来は、道路幅が七間であったという説もありますが、
7つの座(*2)があったことから「七軒町」と名付けられたという説が有力です。
明治以降は歌舞伎や人形浄瑠璃、映画が楽しめる街として、
昭和に入ると映画館やファッション、飲食店が軒を連ね、
通りを歩くことは「銀ぶら」ならぬ「七ぶら」と言われてたいへん賑わいました。
現在、映画館は1館となりましたが、朝市やさまざまなイベントが開催され、
歴史と文化が香る、個性と活気にあふれる商店街です。
商店街として街の緑化に早くから取り組み、1973(昭和48)年に街路樹のケヤキを植樹。
1992(平成4)年に静岡県都市景観最優秀賞を受賞しています。
大きく成長した現在では、夏には木陰を、冬には陽光が降り注ぐ自然のシェードとして、
七間町のシンボルになっています。

街灯は、目にやさしいシンボリックな「すずらん灯」。

これは3代目ですが、初代の「すずらん灯」は、昭和3年に設置。静岡市初の事業でした。
昭和15年の静岡大火、昭和20年の静岡大空襲を経て、3代、85年に渡り、七間町を照らし続けています。
七間町名店街の歩道は、劣化が少ない「大理石」。中国浙江省の大理石を使用しています。


街の歴史と共に、汚れやクラックが刻まれ、七間町の通りに彩りを添えています。
車道は、いちょう張り、うろこ張りのブロックでヨーロッパ風の街並に。

車道がデコボコしているのは、車が高速で走れないようにするという配慮も。
そのため、七間町通りは事故が少ないと言われています。
自転車の多い静岡の街を考慮し、静岡市の商店街として初めて駐輪場を設置。

車道側から自転車を入れる駐輪場は、全国でもめずらしく、歩行者にやさしい街です。

アーケードから流れる音楽は、七間町名店街が独自に編集したBGM。
朝9:30~夜8:30までの11時間、時間帯によってシーンをイメージした音楽が選ばれています。
通りの各所にベンチやオブジェが置かれ、木漏れ日の中、花や音楽あふれる空間でひとやすみ…






まるで異国にいるようなおしゃれな商店街です。
●七間町名店街の歴史が写真と共に詳しく紹介されています。
七間町名店街ホームページ http://www.7town.jp/
*1 「静岡紺屋町名店街」「呉六名店街」「静岡呉服町名店街」「七間町名店街」の4つで構成されている。
*2 当時の専売品である絹座・炭座・米座・檜物座(ひものざ)・千朶積座(せんだづみざ)・相物座(あいものざ)・馬商座。
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2015年03月18日
商店街まめ知識vol.1 静岡呉服町名店街 ~歴史に思いを馳せながら~
“おまち”には、「訪れる人が楽しく過ごせるように」と、思いを込めたさまざまな設備や歴史的な由来があります。
あなたの「まち歩き」が、もっとおもしろくなる「“おまち”の商店街豆知識」を紹介していきます。
JR静岡駅前のメインストリートともいうべき「呉服町通り」は、3つの商店街に分かれおり、
駅側から紺屋町名店街、呉六名店街、呉服町名店街と呼ばれています。
記念すべき第1回目のまめ知識は、その「呉服町」の名の付く「呉服町名店街」からご紹介します。

今川氏の時代から駿府の本町と呼ばれ、当時から城下の主要地域だった呉服町。
現在のように呉服町の名が使われるようになったのは、駿府へ引退した徳川家康が
慶長14年(1609)に町割制度「駿府96ヶ町」を定めた時からです。
その名は、この地に今川時代末期(1560年代)から徳川時代初期(1620年代)にかけて
網座、木綿座の長であった伴野宗善(友野宗全)が住んでいたためつけられたと言われています。
宗善は町頭を勤め、駿府町割の際には奉公を補佐し、駿府のまちづくりに活躍した人もあります。
また、呉服町には、その名のとおり、戦前までは十数軒の呉服店が通りに軒を連ねていたことが伝えられています。
その「呉服町」の名にちなみ、呉服町通りの歩車道は、呉服の布地織りに使われている
格子織りの模様を、赤色系の御影石を使って表現しています。
※写真左から、車道、車道、歩道



呉服町通りは江戸時代から駿府の目抜き通り(旧東海道)として栄えてきました。
呉服町通りの入り口にあるアーチは、東海道で繰り広げられた庶民の日常生活の様子をデザインしたもの。

約150の人物と馬・籠を並べて表現しています。

輝かしい歴史を持って未来に飛躍していく呉服町を象徴しているそうです。
街路灯は江戸時代の行灯(あんどん)を現代風にデザイン。

安藤広重の「東海道五十三次」の浮世絵と江戸庶民の彫刻が施されています。

呉服町名店街の全ての街路灯を見ながら通れば、東海道の53宿場を全て巡ったような気分になれますね。

各所に設けられているオブジェ風ベンチは、
江戸時代の生活用具である、かんざし、天秤棒、縁台などのイメージで作成されています。









お買い物の合間にちょっと一休み…。撮影スポットとしても人気です。

古くから城下町として栄えた歴史に思いを馳せながら、
今も繁華街として栄える呉服町名店街を歩くと、
また一味違った楽しみ方ができるかもしれませんね。
●静岡呉服町名店街ホームページ
http://www.gofukucho.or.jp/
あなたの「まち歩き」が、もっとおもしろくなる「“おまち”の商店街豆知識」を紹介していきます。
JR静岡駅前のメインストリートともいうべき「呉服町通り」は、3つの商店街に分かれおり、
駅側から紺屋町名店街、呉六名店街、呉服町名店街と呼ばれています。
記念すべき第1回目のまめ知識は、その「呉服町」の名の付く「呉服町名店街」からご紹介します。
今川氏の時代から駿府の本町と呼ばれ、当時から城下の主要地域だった呉服町。
現在のように呉服町の名が使われるようになったのは、駿府へ引退した徳川家康が
慶長14年(1609)に町割制度「駿府96ヶ町」を定めた時からです。
その名は、この地に今川時代末期(1560年代)から徳川時代初期(1620年代)にかけて
網座、木綿座の長であった伴野宗善(友野宗全)が住んでいたためつけられたと言われています。
宗善は町頭を勤め、駿府町割の際には奉公を補佐し、駿府のまちづくりに活躍した人もあります。
また、呉服町には、その名のとおり、戦前までは十数軒の呉服店が通りに軒を連ねていたことが伝えられています。
その「呉服町」の名にちなみ、呉服町通りの歩車道は、呉服の布地織りに使われている
格子織りの模様を、赤色系の御影石を使って表現しています。
※写真左から、車道、車道、歩道

呉服町通りは江戸時代から駿府の目抜き通り(旧東海道)として栄えてきました。
呉服町通りの入り口にあるアーチは、東海道で繰り広げられた庶民の日常生活の様子をデザインしたもの。
約150の人物と馬・籠を並べて表現しています。
輝かしい歴史を持って未来に飛躍していく呉服町を象徴しているそうです。
街路灯は江戸時代の行灯(あんどん)を現代風にデザイン。
安藤広重の「東海道五十三次」の浮世絵と江戸庶民の彫刻が施されています。
呉服町名店街の全ての街路灯を見ながら通れば、東海道の53宿場を全て巡ったような気分になれますね。
各所に設けられているオブジェ風ベンチは、
江戸時代の生活用具である、かんざし、天秤棒、縁台などのイメージで作成されています。








お買い物の合間にちょっと一休み…。撮影スポットとしても人気です。

古くから城下町として栄えた歴史に思いを馳せながら、
今も繁華街として栄える呉服町名店街を歩くと、
また一味違った楽しみ方ができるかもしれませんね。
●静岡呉服町名店街ホームページ
http://www.gofukucho.or.jp/